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ナスカの地上絵はなぜ消えないの!?その理由と永続の謎を探る!



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ナスカの地上絵が何千年にも渡って風化せずに残っているのはなぜでしょうか?

 

これらの複雑で壮大なアートワークは古代に作成され、その起源と持続については多くの謎がまだ解明されていません。

ナスカの地上絵は紀元前200年から紀元後800年にかけて作られ、その時期は日本の歴史で言えば、弥生時代から飛鳥時代に相当します。

 

誰もが子供時代に学校の運動場で石灰でラインを引いた経験があるでしょう。

それらのラインは天気や時間の経過と共に薄れていくのが普通です。

 

それにもかかわらず、ナスカの地上絵が何千年もの時間を超えて色あせることなく残るのは一体なぜなのでしょうか?

 

このパラドックスの答えは、絵が描かれた方法と、ナスカの特異な自然環境に密接に関連しています。

 

この記事では、これら古代の謎に満ちたアートワークがどのようにして時間を経ても風化せず、また現代まで見ることができるのか、その理由を探求します。

 

さらに、ナスカの地上絵の観光情報についても詳しく紹介します。

神秘的な作品を自らの目で観察し、その謎と美しさを体験する方法についても触れていきます。

 

これらの絵がなぜ、そしてどのようにして消えることなく今日まで残っているのか、その真相を一緒に探りましょう。

 

ナスカの地上絵のが消えずに持続している秘密とは

ナスカの地上絵がなぜ色あせることなく存在し続けているのか、その要因と共に、これらの貴重な作品が直面している保全の課題についても探っていきます。

 

理由①アートワークの創造方法

ナスカの地上絵は単に地面に描かれたものではなく、特殊な方法で形作られています。

一見、地に描かれた絵に見えるかもしれませんが、実際はそれ以上の複雑さがあります。

 

これらの絵は、過去の洪水で山から運ばれてきた石が風化し、砂漠漆(石についた薄い被膜)を形成しています。

これは鉄やマンガンの酸化物によって作られ、空気に露出した部分は黒く、地に埋もれている部分は明るい色をしています。

 

アーティストたちは、黒い石を丹念に取り除き、明るい地面を露出させることで、絵を創造しました。

そして、取り除いた黒い石を配置して縁取りを施し、作品をより鮮やかに仕上げました。

 

理由②乾燥した気候条件

ナスカの地上絵が風や雨によって風化したり消失しない要因の一つは、ナスカ地方の極度に乾燥した気候にあります。

 

年間降水量はわずか2.1mmと、世界でもトップクラスの乾燥地帯に位置しています。

 

ペルー海流の影響を受けており、ナスカ地域は雲や霧は見られますが、実際に雨が降ることは稀です。

何ヶ月にもわたって一滴の雨も降らない月もあり、これが地上絵の保存に寄与しています。

 

エルニーニョ現象によって時折雨が降ることもありますが、地上絵が描かれている台地の高さがこれを防いでいます。

台地の位置が、雨水の侵入を防ぎ、作品を保護しているのです。

 

理由③生息する野生動物の不在

ナスカの地上絵は、鳥、アルパカ、サル、クジラなど、さまざまな動物を描いています。

しかし、これらの動物はナスカ地域には生息しておらず、これらの絵が描かれた背景には他地域との交流があったと推測されています。

 

ナスカの広大な平地には、かつて人々が住んでいましたが、野生動物が大地を駆け巡り、それを破壊するという光景は見受けられませんでした。

それゆえ、地上絵は時間を経ても風化や破壊を免れ、現代に至るまでその姿を保っていると言われています。

 

理由④発見後の厳重な保護措置

ナスカの地上絵の発見は、それほど古いものではありません。

1939年、アメリカの考古学者ポール・コソックがこれらの絵を世に知らしめました。

 

ドイツ出身の女性研究者、マリア・ライへもまた、地上絵の研究と保護に一生を捧げた著名な人物です。

 

彼女は私財を投げ打って地上絵の保護に尽力し、「ミラドール」という高さ20メートルの観測所を設置して地上絵を観察するための環境を整備しました。

 

1998年に95歳で亡くなったマリア・ライへの死後、ペルー政府は地上絵の周辺へのアクセスを制限しています。

 

2015年にはペルー文化省と山形大学が「ナスカ地上絵プロジェクトチーム」を結成し、学術協力と地上絵の保護に向けた特別協定を締結しました。

現在、山形大学のチームだけが世界で唯一、地上絵への立ち入り調査を許可されています。

 

ナスカの地上絵が消えずに残っている要因として、これらの保護活動と、それに続く厳重な管理体制が挙げられます。

これらの取り組みによって、地上絵は次世代にも引き継がれる価値ある歴史的遺産として保たれています。

 

ナスカの地上絵は徐々に消失が進行している!?

ナスカの地上絵が描かれたのは約2000年前です。

 

以前に、これらの古代のアートワークがどのようにして長い間保持されているのかを4つの要素で説明しましたが、現在、それらが消え去ろうとしている危機が訪れています。

 

自然の要因

長い時が流れ、強い風が絶え間なく吹き付ける中で、地上絵を形作っている石の断片は次第にその色を失い、明るい色彩と暗い色彩の間のコントラストは徐々に薄れていっています。

 

人間の手による影響

ナスカの地上絵が初めて明らかになってから約100年、特に過去50年間で人間の活動がその浸食を促進しています。

 

観光客の訪問や地元の住民の文化遺産保護に対する意識の希薄さが、その消失を加速していると言えます。

 

近時における損傷の例

発生日 事例の内容

 

2015年9月

 

グリーンピースという国際的な環境保護団体が、地上絵のすぐ横に「TIME FOR CHANGE THE FUTURE IS RENEWABLE!GREENPEACE」というメッセージを設置。

それは地上絵の真上に位置しており、歩行による足跡で荒らされていました。

アクションの目的は、気候変動へのアクションを国連会議で話し合う各国の代表に訴えかけるためでした。

2018年1月

 

ある貨物トラックが警告標識を無視して遺跡地帯に進入、地上絵を損傷させました。

トラックのタイヤ痕は100メートルにもわたっていました。

 

 

 

このような状況から、地上絵の保護と保存を真摯に考える人々と、それほど重要だと考えていない人々が存在していることが明らかになります。

それは、これらの貴重な歴史的遺産の未来に大きな影響を与えています。

 

 

スカの地上絵の秘密を探究!起源は?だれが何の意図で作った?

ナスカの地上絵に限らず、世界各地に点在する価値ある資料や遺産の保存は、持続的な努力が求められる一大課題であることが認識されています。

 

ここで、ナスカの地上絵とは具体的にどのようなものなのか、もう一度、詳しく説明しましょう。

 

これらの地上絵には、未解明な部分が多く、いつ、誰によって、そしてなぜ描かれたのか、という基本的な問いに答えます。

 

2種類の地上絵が存在…ナスカとパルパの地上絵の特徴

ナスカの地上絵とは、約1000平方キロメートルの範囲にわたって存在する巨大なアートワークです。

 

名称:ナスカとパルパの地上絵

場所:ペルー、ナスカ川とインヘニオ川に囲まれた砂漠地帯

描かれた時期:紀元前200年から紀元後800年

目的:複数説あり、雨乞いの祭りが一つの有力説

世界遺産登録:1994年に世界文化遺産に登録された

発見された時期:約1926年頃

 

世界遺産として登録された際の名称は「ナスカとフマナ平原の地上絵」でしたが、2016年の世界遺産委員会で名称が「ナスカとパルパの地上絵」に改められました。

 

それに伴い、ナスカだけでなくパルパにも地上絵が存在することが注目されるようになりました。

パルパの地上絵はナスカの北に位置しています。

 

ナスカの地上絵は西暦200年から700年にかけてのナスカ文化によるものが多く、パルパの地上絵は紀元前500年から西暦200年にかけてのものが多いです。

 

ナスカは直線、幾何学的な形状、動物など、多様な図像が描かれています。

一方で、パルパは人間の図像が主であることが特徴です。

 

パルパの地上絵の存在は、意外と知られていませんよね。

 

ナスカの地上絵は1〜2mの幅で描かれているのに対して、パルパの地上絵は数センチメートルの幅で描かれているため、発見が遅れたと言われています。

 

そのため、一般によく知られているのはナスカの地上絵です。

 

この記事では、両方を含めて「ナスカの地上絵」という表現を使って説明を進めていきます。

 

ナスカの地上絵の目的とされる雨乞い説に焦点を当てて

ナスカの地上絵の最も大きな謎は、これらの巨大な絵が一体何の目的で描かれたのかという問いです。

 

数千年前、古代の人々がなぜこれほどのスケールでアートワークを地面に描いたのか、その疑問を解決するべく、世界中の研究者たちが研究を重ねています。

 

以下では、様々な推測がある中で特に注目される説を探求します。

 

天文学との関連性説

マリア・ライへという研究者が、一生をかけてナスカの地上絵についての研究と保護を行っていました。彼女は、ナスカの線が太陽、月、星の位置を示すものとして、天文学と関連があると提唱しました。

 

しかしこの説は、ナスカの線と天体の位置が完全には一致しないという理由から、広く受け入れられていません。

 

社会経済活動説

当時のナスカ社会は中央集権制度がなく、食料の管理と分配は家族単位で行われていたとされています。食物の不足が発生した場合、飢餓で命を落とす人々が後を絶ちませんでした。

 

地上絵の製作は、労働者に食料を提供する一方で、地域社会を一つにまとめ、飢餓を防ぐシステムとして機能していたのかもしれません。

 

雨乞い儀式との関連性説

この説が、ナスカの地上絵の目的に関して最も有力とされています。

 

ナスカ地域は極度に乾燥した環境で、雨は農業や生活にとって極めて貴重な存在でした。

 

地上絵の中には、「クモ」という図像があり、これが雨を象徴するものであるとの解釈があります。

また、エクアドル産の貝が地上絵周辺で見つかっており、これが雨乞いの儀式に使われていた可能性が指摘されています。

 

地上絵が一筆書きのスタイルであるのは、雨乞いの儀式で楽隊が移動するルートとして利用されていた可能性があるからです。

 

農業と水利施設説

ナスカ文化時代、人々はアンデス山脈からの川水を利用して農業を行っていました。

 

ナスカの地上絵が灌漑や水路としての役割を果たしていたという説もあるのですが、地上絵の道が狭すぎるため、この説はあまり支持されていません。

 

 

以上の諸説を考慮すると、ナスカの地上絵が雨乞い儀式の一環として利用されていたという見解が有力となっています。

 

ナスカの地上絵がいかにして生まれたのか?ナスカ人の技術と知恵に迫る

ナスカの地上絵が、どのメカニズムで創造されたのかは長年の謎です。

 

飛行機が存在しなかった時代、どうやってこれほど巨大なアートワークが生まれたのか、数々の研究者の洞察に基づき、その秘密を解き明かします。

 

杭とロープを駆使した拡大技術

マリア・ライへは古代の技術を再評価し、特定の方法を提唱した。

地上絵のプロトタイプを粘着性のある布にチョークでスケッチし、地に投影する際には倍々に拡大して描写したという。

異なる長さの棒とロープを使って、コンパスの原理で円弧を描き取ったとされる。

この方法では、ロープが完全に伸ばされないと作画が困難で、200メートル以上の図像の描画は一大作業となる。

 

設計図不要の創造法

アンソニー・F・アヴェニ、天文考古学の第一人者が実験を実施。

 

彼は、ナスカの地上絵は設計図なしでも構築可能であるとの仮説を立て、その労力を実証的に評価した。

労働者を二手に分け、一方が描かれる線の内側で岩石を積み重ねる作業を繰り返した。

監督者二人が配置され、不均整や歪みが生じた際には即座に修正指示が出された。

結果、全労働者で90分で27平方メートルの岩を移動させた。

 

 

この実験から、100人の労働者が1日10時間作業を行えば、2日間で1670平方メートルの岩を整地できることが判明しました。

 

それは、9×183メートルの台形の面積に相当します。

 

その結果、ナスカの地上絵全体を描くのに必要な時間は、1万人の労働者が働けば10年未満であると推定されています。

 

ナスカの地上絵の制作方法には、様々な推測が存在します。

 

設計図を必要とするか否かに関わらず、これらの巨大な絵を生み出したナスカ人は、卓越した技術と、それに見合った労働の精神性を兼ね備えていた可能性が高いでしょう。

 

詳細については、本書にて深く掘り下げていますので、興味を持たれた方は是非ご覧ください。

ナスカの地上絵の位置と観光情報

南米、ペルー共和国に位置するナスカとインヘニオ川に挟まれたエリアに、世界的に有名なナスカの地上絵が広がっています。

乾燥した砂漠の高原に、動物や植物、幾何学的なパターンを描いた壮大なアートワークが展開されています。

 

遊覧飛行でナスカの地上絵を一望

ペルーのナスカの地上絵を訪れてみたいと思っている方は、長いフライトと移動を覚悟しなければなりません。

日本からのフライトは21時間以上、それに加えて車での移動も必要です。

だからこそ、効率的に目的地に到着する方法を知っておくと便利です。

 

ペルーとナスカの地上絵に関する情報

ペルーのリマとナスカに位置する地上絵は、Googleマップでも見ることができます。

 

情報リスト

国:ペルー共和国

首都:リマ

人口:約3297万人

主要言語:スペイン語、ケチュア語、アイマラ語など

通貨:ソル (1ソル≈34.75円、2023年4月現在)

時差:日本より14時間遅れ

 

ペルーの気候と服装のポイント

ペルーは南半球に位置しており、その気候は日本とは逆。特にリマやナスカ地域は乾燥しており、雨は少ないです。

しかし、標高が高い場所では日中と夜間の気温差が大きいため、寒さ対策が必要です。

 

ナスカの地上絵のバリエーション

名前:ハチドリ – サイズ:約96m

名前:クモ – サイズ:約46m、農業や水に関連

名前:ペリカン – サイズ:最大285m

名前:サル – サイズ:全長110m、尾が渦巻く

名前:コンドル – サイズ:全長136m、翼を広げたデザイン

 

ペルーへの旅行情報

ペルーへのフライト情報や、入国手続きに必要な書類、パスポートやビザの情報を提供します。

 

フライト情報

日本からペルーへの直行便は存在しないため、アメリカなど他の国を経由してリマに入国する必要があります。

主要な航空会社には、デルタ航空、アメリカン航空、ユナイテッド航空などがあり、ラン航空やラン・ペルーなどの南米地域の航空会社も利用可能です。

 

入国手続き

パスポートは入国時に6カ月以上の有効期限が必要で、未使用の査証ページが5ページ以上あること。

ビザは183日以内の観光目的であれば不要です(2023年2月現在の情報)。

 

これらの情報を確認して、ナスカの地上絵を存分に楽しんでください。

 

ナスカの地上絵の観賞ルート

①    空からの鑑賞:遊覧飛行ツアーを楽しむ

ペルーの首都リマから南に位置するイカまたはビスコへ向かう必要があります。

車で約4時間、太平洋の海岸線を追って移動する美しいルートです。

 

イカやビスコに到着したら、遊覧飛行ツアーに参加するのが一般的です。

 

ナスカの地上絵だけでなく、パルパの地上絵もセットで観ることができ、多様な絵が楽しめます。

ナスカでは、動物、昆虫、幾何学的なデザインが描かれているのに対し、パルパでは人間の姿が主題の絵が多いです。

 

②    地上からの体験:ナスカの地を直接歩む

もう一つのオプションは、イカやビスコからさらに3時間南へ進み、ナスカの地を直接訪れる方法です。

 

ここで、その気候や風土を直接体感し、古代の人々が日々眺めていたであろう風景を肌で感じることができます。

 

ただし、ナスカの地上絵を地上から観ると、その規模の大きさから全体像を把握するのは難しいです。

そのため、空からの遊覧飛行ツアーが一番人気で、私もこれを推奨します。

 

それは、空からだけでなく、絵全体の美しさとその複雑さを完全に捉えることができるからです。

 

上空から、動物や幾何学模様など、様々な絵が彫られたナスカの地上絵と、人間の姿が描かれたパルパの地上絵を一目で観ることができ、それぞれの絵が持つ神秘的な魅力と歴史を存分に味わうことができます。

 

まとめ

まとめとして以下のポイントを挙げます:

・ナスカの地上絵が消えない主な要因は、絵の製作方法、乾燥した気候、および厳格な保護措置に起因している

 

・その消失の主な要因は、自然の変化と人間による損傷

 

・ナスカには、ナスカとパルパ、2つの異なる種類の地上絵が存在する

 

・雨乞い説は、ナスカの地上絵の目的に関する最も説得力のある理論である

 

・ペルーへの直行便は存在せず、アメリカを経由して約21時間の飛行時間が必要である

 

・遊覧飛行ツアーは、ナスカの地上絵を鑑賞する最良の方法である

 

ナスカの地上絵の持続的な存在の理由と、未解明の謎について議論しました。

古代の人々がこれらの壮大なアートワークをなぜ、どのようにして創造したのかは、今もなお推測と研究の対象です。

 

私たち現代人が探求と解明を続ける中、この神秘的な地上絵が、遠い未来の世代にも引き続き魅了し、インスピレーションを与え続けることでしょう。

 

私たち自身も、未来の世代に何を伝え、どのような遺産を残すことができるのかを常に考え、それに応じた行動を取るべきだという認識を新たにする機会となるでしょう。

 

私たちの文化や歴史も、未来の人々にとっては貴重な研究の素材となり、彼らの知識と理解を深める一助となることを期待しています。